Yes is more

「過激にインクルーシブ」ビャルケインゲルスの掲げるスローガンです。妻の浮気、離婚、双極性障害の症状。思うようにいかないこと、困難があると、自分が悪いのだと責任を追求して苦しくなりがちな自分。それでもすべてを受け止めたい・引き受けたい。だからこそ、「過激にインクルーシブ」にすべてを包み込むような人間になりたいと思うのです。その試行錯誤をブログに綴ります。

#002離婚に向けて整理していること。

来週の25日、息子の運動会があります。
その日は入籍からちょうど7年、とても縁を感じます。

僕と妻とは、二人きりでは会話が成立しない状況なので、お互いの母親を仲介にして話をしているのですが、息子の運動会の時に来てくれるので、最後の交渉となるであろう話し合いをします。

円満な離婚をしたいので、以下の3つの内容について押さえたいと考えます。

1:親権
2:(共同養育を前提とした)住む場所
3:養育費


内容について書く前に、この半年ほどの交渉のプロセスをお伝えしたいと思います。
上記3つは最終段階に差し掛かっています。

フェーズ1 自由を表現する時期
フェーズ2 感情的に衝突する時期
フェーズ3 心理的な独立を果たし、物理的な独立へ向かう時期


フェーズ1 自由を表現する時期
妻が21歳の時に息子を生んでくれましたので、一つ決めていたことがありました。
それは若い時にしか経験できない無茶苦茶な仕事の仕方や、夜通し遊ぶ経験、自分のためにお金を使うという経験を妻にしてもらえるように、子育てを僕が引き受けることでした。
なので、朝晩の保育園の送り迎えは僕が担当し、食事の準備や洗濯、お風呂に入れること、寝かしつけることは僕の担当でした。

結論、自由に過ごしてもらうというコンセプトは、妻の浮気や、放漫かつ潤沢な資金による遊びや買い物に消えていくことになります。

2018年秋、翌年息子が小学校に上がるタイミングなので、僕は妻にお金の使い方、地域ごとの教育環境、そして僕自身の仕事の兼ね合いから、住む場所や生活の仕方について要望を伝えるようになりました。
簡単に言えば、お互いに完全なるフルタイムワークとしていた状況だった一方で、圧倒的に僕の家事負担が大きかったため、その比率を見直そう。
あるいは家事代行や家電などを購入して、家事負担をクリエイティブに減らしていくことの提案と、導入をしていきました。

彼女が話し合いに応じてくれなくても、僕は僕の責任で検討を進めていき、彼女がいつか話をしてくれたり、いつか感謝してくれればそれでいいと考えていました。

フェーズ2 感情的に衝突する時期
いずれ書きたいと思いますが、瞑想のプログラムに参加しています。
その中で、僕の中に渦巻いている怒りを発見しました。
それは「僕は僕の人生を第一に生きていない。周りの人の幸せのために自分の人生を犠牲にしている」ことへ気づきでした。

その怒りは仕事の仲間や親兄弟、パパママ友達に対してもありましたが、最も大きかったのは妻に対するものでした。
その怒りに気づいてから、そして僕が自分の人生を大切にして、妻に伝えていたいくつかの要望が全く顧みられることがないことから、かなりの怒りをぶつけていました。
妻が指摘していましたが、人格的な攻撃をしてしまっていたのもこの時期で、怒りに支配されてしまった時期でもあります。

この時期に離婚届を渡したので、かなり衝動的な行動であり、本来的にこのような状態で離婚の話を前に進めてしまうことは危険だと感じます。
もっと両親であったり、信頼のおける友人やプライベートも相談できる上司に相談できていたら良かっただろうと反省しています。

ただ、感情が爆発するときは必ず訪れますし、その時期そのものが悪いとは思いません。
怒りを表現できる時間を持てたことは、自分自身を愛する上でとても重要な時間であり、自分の人生を自分を大切に扱うためにとても良い機会となりました。

フェーズ3 心理的な独立を果たし、物理的な独立へ向かう時期
今、妻への怒りや期待を手放し、とても穏やかな気持になっています。
このような気持ちの状態にならない限り、離婚はしないほうが良いです。

なぜなら、子どもにとって最善の環境を作る努力は、離婚してからの期間の方が長いからです。
なので、フェーズ2の勢いのまま離婚を成立させてしまうと、本当に子どもに取って良い環境を作ることはできないです。

なんていう言葉は離婚して数年経ってから書いたほうが良いですよね^^;

とにかく、いわゆる離婚を成立させるまでには、少し時間を置かないとだめだなぁと思います。
僕から離婚を言い出したのに、妻がそれを受理すると言ったときの喪失感たらないわけで、そういった気持を十分に味わいきってから、条件面での話し合いを行い、その後に離婚届の提出を行いたいと考えています。



条件面の交渉
ここで最初の条件の話に戻ります。
以下の3点は、事前に複数のウェブサイトを読んだり、色んな人の話を聞いていた以上に複雑に絡んでいて、想定することがかなり難しいです。

1:親権
2:(共同養育を前提とした)住む場所
3:養育費

まず親権について。
僕としては、当然の様にこれまで子育てを中心に行ってきた僕が引き取ろうと思っていましたし、妻もあっさりとその点は認めています。

しかし、これは軽率には決められないなと。
僕は最近出張が増えてきて、将来的には海外でも仕事をしたいと思っています。
これまでは出張の時には妻が面倒を見てくれていましたし、ちょっとした買い物や、少し映画を見に行きたいときには預けられていたものが、全く預けられなくなる一方で、妻は一人時間的な自由を確保されることになるわけです。
この状況を積極的に作るのって、自分の首を締めてしまうというか、責任感で引き受けるには大きすぎる代償です。

結婚している状況では、共同親権と言って、二人共が親権を持っていて、二人が責任を負っていますが、離婚するとどちらかしか持てません。
なので、容易に引き受けることはかなりの責任を負うことになりますので、感情に流されない判断が必要になります。

共同養育という考え方はあり、母と父が別れたあとも養育の責任を持つという考え方は成り立ちます。
なので、親権を持つと同時に、養育に関しては片方(今回は僕の妻)にしっかりと要望を伝え、養育費を含めた約束事を明確化して置く必要があります。
(後日書くことになると思いますが、公正証書を作成することになると思います。中野区は中野駅前に公証役場がありますね)


次に住む場所です。
僕は東京都の中野区に住んでいるのですが、僕の実家が江東区、妻の実家は最近解散し、お義母さんが台東区に住んでいます。
子どもの生活環境としては、住む場所、通っている学校を変えないというのが原則だそうです。

しかし、僕は現在住んでいる家を一人の生活費で賄っていくことはしない、と妻にもともと話していました。
実は昨年まで妻と二人で1,400万円ほど稼いでいました。
今は妻は無収入なので、僕の稼ぎの700万円ほどでこの家を維持しています。

僕はもともと働き方を緩やかにしたかったので、現在住んでいる家を引っ越そうと話をしていました。
なので、どうやってもこの家は出る必要があります。(賃貸です)

じゃあ、せめて学校は変えないか、と考えたのですが、中野で僕と息子が住む家を探しつつ、妻に預けた時に小学校に通わせられるような距離に住んでもらうというのは、とても難しい調整だなと。
僕の実家に帰ることも考えています。
本当は実家に帰ることは嫌でした。
親の世話になることに、自分の不甲斐なさを感じてしまったり、迷惑を掛けたり、なんだかんだで自由に振る舞うことができないというか、働き方にもいろいろ言ってきたいたので、面倒だと感じています。
でも、やはり家賃が浮くことはとてもありがたい。

なぜなら、次のパートナーを探そうと思っているので、それまでできる限り資金を貯めておきたいと考えています。
なので、実家に帰ることはとても良い選択肢だろうなぁと。


最後の養育費です。
これは離婚して引き取る男性に言えることかもしれませんが、特に収入が限りなく低いか見込めていない奥さんに対して養育費を請求することはとても心苦しいのではないでしょうか。
妻は前職を昨年末に退職し、古くからお世話になっていた前職の上司の会社で働いていましたが、パワハラがすごいため、退職をしたようです。
もともとメンタル面でも健康ではなかったので、仕事はしばらく休んでいるそうです。
そんな妻に対して養育費を請求することに、親は反対していますが、逆の立場であれば間違えなく請求されるわけで、これは断固として請求する必要がありますし、息子のためにもしっかりと交渉をします。

養育費に関しては、年収と子どもの人数から基本的な金額は算出できるようで、上乗せは弁護士などを入れて調整するのが良いようです。
最近は離婚時の条件を設定するため専門のカウンセラーもいるとのことで、込み入ってくる来る部分では有料で相談しようと思っています。


最初に書きましたが、離婚するときは、結婚するときと同じくらいに感情的にガーッといけますが、実際には離婚してからの人生の方が長いので、日常的な生活とお金の工面について、感情に流されずに子どもの幸せのために引き出すべき条件はしっかり引き出すことが大事です。
来週の条件交渉に向けて、もう少し情報を集めながら進めていこうと思います。